作者自身が「失敗作」と断じた詩が、なぜ人類の讃歌になったのか。 それが、240年にわたってこの詩が問い続ける逆説である。
1785年夏、ドイツの詩人フリードリヒ・シラーはライプツィヒ近郊のゴーリスで一篇の頌歌を書いた。友人にして恩人、クリスティアン・ゴットフリート・ケルナーへの深い感謝から生まれたこの詩は、当初は親しい間柄への個人的な捧げものに過ぎなかった。しかしシラー自身は晩年、ケルナー宛ての手紙でこう綴っている──「現実離れしている。おそらく我々二人にとっては価値があるが、世界にとってはそうではない」と。
皮肉なことに、その詩こそが世界を動かすことになる。
ベートーヴェンが与えた、不滅の命
1824年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはこの詩をニ短調の第9交響曲(作品125)の第4楽章に組み込んだ。全文をそのまま用いるのではなく、特定の連を選び直して再構成し、自ら序奏の詩句を加えた。バリトン独唱が高らかに告げる──「おお友よ、このような調べではない!」と。
作者が見限ったその言葉は、こうして音楽とともに永遠になった。
1972年には欧州評議会が、1985年には欧州連合が、ベートーヴェンの旋律を公式の讃歌として採択した。自由、平和、連帯の象徴として。
革命の現場に響いた、自由の歌
この旋律が歴史の転換点に立ち会ってきた記録は枚挙にいとまがない。チリのピノチェト独裁下では反体制派がこの歌を歌い、1989年の天安門広場でも抗議の声とともに演奏された。そしてベルリンの壁崩壊直後のクリスマス、レナード・バーンスタインが指揮した歴史的な演奏では「歓喜(Freude)」という語が象徴的に「自由(Freiheit)」へと置き換えられた。
文化の領域でも足跡は深い。日本では毎年12月に「第九」として大規模に演奏される伝統が根付き、**『新世紀エヴァンゲリオン』**では渚カヲルの登場とともにこの旋律が流れ、世界中の視聴者の記憶に刻まれた。
シューベルト、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス2世もまたこの詩に着想を得て、それぞれ独自の作品を残している。
作者が「失敗」と呼んだ言葉が、世界を兄弟でつなぐとき、 「芸術とは誰のものか」という問いが、静かに浮かび上がる。