►愛将が私腹を肥やし民女を強奪、宋の太祖はいかにして巧みな話術で農民の怒りを鎮めたのか?
►器の小さい宰相・楊炎が「ルッキズム」ゆえに陥れられた理由とは?
►妻よりも親密?「不倫相手」とこれほどの兄弟分に?
単なる冷たい歴史書ではない。内面の修養から外的な行動まで、
『二十四史』を開き、そこに隠された人生の知恵を洞察しよう!
▎中国の司法の神・包青天、一言で事件の真相を見抜く
小説『七俠五義』で、神のごとき推理を見せる包公の姿は人々の心に深く刻まれている。
しかし芸術的イメージを離れた、実在の歴史における包拯は……さらに不可思議だった?
包公が天長県の知県を務めていた頃、奇妙な事件に遭遇した。
ある農民が、飼っている耕牛の舌を何者かに切り取られたと訴え出たのだ。
牛や鶏を盗む話は聞くが、牛の舌を切って何の得があるのか?
包拯は裏があると疑い、気に留めないふりをして農民に牛を屠殺して売るよう命じた。
間もなく、別の男が「農民が勝手に牛を殺した」と役所に訴えに来たが、包公はその場で男を捕らえさせた。
実は、宋の法律では農民が私的に耕牛を殺すことは禁じられていた。
この男は悪意を持って相手の牛を台無しにし、さらに通報して罪に陥れようとしたのだ。
包公は知恵と的確な判断力で、瞬く間に黒幕である「犯人」を捕らえたのである。
▎列国を震え上がらせた戦神・白起、なぜ秦の昭襄王に恩を仇で返されたのか?
長平の戦いで策を講じ、40万の趙軍を生き埋めにした白起の残忍さは誰もが知るところだ。
同時に彼は秦に対して忠義を尽くし、無敗を誇ったが、なぜ最後は自殺に追い込まれたのか?
長平の戦い後、趙は主力を失い滅亡の危機に瀕し、国中がパニックに陥った。
平原君の食客・蘇代は座して死を待つことをよしとせず、自ら秦への説得に赴いた。
当時の秦の宰相は范雎。蘇代は離間の計を用いて范雎に危機感を抱かせた。
范雎はすぐさま秦王に進言し、ほどなくして撤退の命令が白起の元に届いた。
趙を滅ぼす絶好の機会を台無しにされたことで、白起は范雎に強い不満を抱く。
その後、范雎が訪ねてきても白起は病と称して出陣を拒み続けた。
秦王はアメとムチで説得を試みたが果たせず、やむなく白起を免職・流放とした。
范雎はこの機を逃さず、後顧の憂いを絶つために白起に自害を命じるよう昭襄王に勧め……。
▎忠臣VS暴君の攻防戦:「諫言する奴は全員死ね!」
偽の宦官・嫪毐と趙姫が政変を企てるも、秦の始皇帝は速やかに反乱を平定した。
激怒した嬴政は実母を幽閉したが、それは世論の危機を招くことになった……。
伝承によれば、始皇帝の生母・趙姫はもともと呂不韋の愛妾だった。
嬴政が成長するにつれ、呂不韋は災いを避けるため嫪毐を宮中に送り込んだ。
表向きは太后に仕える「去勢された者」だったが、実際には趙姫との間に二人の子を設けていた。
嫪毐の反乱後、嬴政は異父弟二人を処刑し、母親を幽閉した。
当時「不孝」は天に背く大罪であり、多くの大臣が太后を迎え入れるよう秦王を諫めた。
秦王は激怒し、これら27人を全員殺害、死体は山のようになった。
しかし斉の人・茅焦は平然と進言を求めた。「私が28人目の数合わせになりましょう!」
〔本書の特色〕
『史記』から『明史』まで、『二十四史』は数千年にわたる中国の歴史を系統立てて記録し、歴代の興亡を全面的に示している。政治、経済、文化、軍事などあらゆる分野に及び、まさに中華文明の百科事典といえる。本書はその中から物語を厳選し、修身、治事、用人、処世、親情の5つの側面から整理。軽快な現代語訳と新たな視点による客観的な評価を通じて、読者に新しい啓発を与える。